真紅と水銀燈と強者弱者の理論

真紅は「生きることを戦いだ」と言い切ったけれども、ハンディキャップを持つ者、弱者の存在には無配慮だったと思います。つまり、水銀燈という「不完全な」者を蔑む・あるいは考慮しない物言いは、サディスティックですらあります。
しかしながら、戦いで一度腕を失った真紅は、己が「不完全な」存在に堕してしまったことに深く嘆き、はじめて水銀燈の憂鬱を、その身をもって知ることになります。その時、はじめて真紅は「不完全な」自分を支えてくれるジュンや他のドールたちの存在の大切さを知ると同時に、水銀燈の孤独をも知りえたのでしょう。
水銀燈には弱者の強者への逆襲を感じますが、それは憎しみではなく、革命です。真紅には、それを誘発した原因・責任があるし、そのことは腕を失った真紅が何よりも自認していることでもあります。
少なくとも、安倍内閣は強者の理論です。「生きることは戦いである」ということは大変結構ですが、戦いは必然的に弱者に不利に働くのです。その弱者を助け、支えることなしに「美しい国」は実現し得ない。偉い人にはそれがわからんのですよ。まるで、腕を失う前の真紅のように。
一度、偉い人たちも、腕を失ってみれば良いのです。