夏目漱石とハンスリック

夏目漱石の「草枕」を読んでいると、大学時代に研究していた音楽評論家のエドゥアルド・ハンスリックの思想をふと思い出しました。
西欧全土が相次ぐ革命に沸く時期に、革命運動に文化面から積極的に加担した彼が、ドイツ三月革命の失敗の後に180゚見解を転向させたことが、俺の研究のテーマの一つでした。
彼は芸術は革命を助長したり思想の発露を実現する手段ではない、と主張するようになりました。それまでの彼は芸術は変革のチカラを持つものだ、と信じて止まなかったし、事実ベルリオーズのように燃え滾る情熱の発露として音楽を書いた作家へ惜しみなく賛辞と共感の弁を送っていたものです。
その彼の転向の原因は何だったのでしょうか。
ここで夏目漱石の「草枕」を引用してみたいと思います。

智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
(中略)
住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画(え)である。あるは音楽と彫刻である。

音楽は、権利の概念が齎した利害の対立が林立する「社会」の中で、そういった窮屈な事象を全て捨象し世界を(あるいは「自然」を、と言ってもいいかもしれない。)ごく「客観的」に写しとるべきものだ、と。
よくよく考えてみれば、半世紀ほどの時間のズレと数千キロの距離のズレがあるとはいえ、漱石とハンスリックの置かれていた社会状況はよく似ていて、近代市民社会の到来という大きな波の中でもがき苦しんだ「現代人」の一つの逃避行動として芸術が語られているという点では、これは一致していると言っていいように思います。
ハンスリックもまた、音楽に安息の地を求め、その安息の地になだれ込んできた「近代」という魔物=リスト・ワーグナーを排除することに命がけであったろう、と推測されるのです。だから、自分には、ハンスリックというこの「弱い」人物が実にいとおしく感じられます。
ハンスリックが熱烈に支持したブラームスは、古来からの「美しき」音楽を語る語り手であったようにハンスリックには思えたことでしょう。一方でベートーヴェンに強く影響を受けたブラームスは、さりげなく「混沌から勝利へ」というまさに「近代」的なロマンチシズムを第一交響曲に織り込んでいた点は注目すべきだと思います。
ハンスリックはこの点からは徹底的に眼をそむけ、あるいは批判さえも加えました。(熱狂的なシンパであるにも関わらず、です。)
だからこそ、田園的な情緒=自然をありのままに描いた第二交響曲を大絶賛したのではないでしょうか。そこにあるのはハンスリックにとって漱石の言うような「非人情の世界」だったのです。「登場人物の存在しない音楽」にハンスリックは酔いしれました。そこには現実を離れた理想の地がありました。(ちなみにブラームスはこの交響曲をスイスの湖畔の田舎街に篭って作曲しました。)
当のブラームスの意図はここではハンスリックの問題にはなりません。理想郷を見出したハンスリックは、その後のブラームスの音楽傾向に完全に同調するかのように見えて、しかしそうはいきませんでした。古き音楽理論を徹底して研究し、論理的かつ緻密に編まれた第四交響曲。この「音楽構造物」に対して大きな戸惑いを表明したハンスリック。夏目漱石草枕一章の結末、こう書き綴って居ます。「非人情がちと強過ぎたようだ。」ハンスリックにとっても、晩年のブラームスの音楽は、ちと非人情が強すぎたのかもしれません。