南大門を焼かねばならぬ?

金閣寺を焼かねばならぬ」とはかの三島由紀夫の小説「金閣寺」の名言だが、実際に金閣寺は焼かれてしまった。1950年のことである。北山文化を、ひいては室町初期の文化を代表する著名な建造物の消失に、当時の人々はさぞ肩を落としたことと思う。
先日、韓国の首都ソウルにある南大門が消失してしまった。放火が原因とされ、容疑者の男は他の文化財放火事件で執行猶予中だったという。動機は「腹いせ」だという。
どちらも歴史建造物を狙った犯行で、動機はどうあれ目的は「物の破壊」で共通だ。何かへの強い感情が、物への暴力へと向かった。そしてその「物」に由緒ある建造物が選定されたと言えよう。
韓国の件の容疑者は、文化財の代わりに自分の名前を歴史に残そうとでも考えたのだろうか。文化財が破壊された歴史は後世に残されても、破壊した人物の名はさほどは記憶されない。それは金閣寺放火事件の犯人の名「林承賢」が現代多くの人々に忘れられ、あるいは語り継がれなかったことが証明している。
積み上げられた歴史の前では、人はあまりにも小さすぎる。林がもし生きていたら、今回の件の犯人に対して、そう語るのではないかという気がしてならない。

狼と香辛料?

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中世社会経済史や宗教学は大学の頃にほんの少しだけ齧ったけれど、こうやって小説になると幾分解り易くて、どっぷりと思案に耽ってしまいます。大体神様ってのは人の都合の良い様に崇め奉られるけれども、果たして・・・ということとかですね。
1巻から4巻まで読んだけれど、「心理」が具体的にカタチをとった時、「お金」や「宗教」として顕れてくるんだな、と感じました。
手元には6巻まであるので、もう少し楽しめそうです。そういえば、短編集のカタチで7巻が出る、と聞いたような気が。確かそろそろでしたかね?

復活カナ?

この間の話にもつながるんですけど、「関わってて楽しくて仕方ない!」って思えた方が、いいに決まってるじゃないですか。だから、「なんちゃってプロデューサー」なアイドルヲタクは辞めて、なんかこう「カワイイ!カワイイ!」ってヲタ同士大はしゃぎするような、そんなヲタク生活を送ってみようかな?なんて、ヲタの皆さんと2日ほど楽しく過ごして思ったわけです。
修行じみたヲタ生活も経験としてはムダじゃなかった(と思いたい)けれど、苦しい苦しいじゃ長続きもしないですしね。
まぁ、住んでるトコが住んでるトコなので、現役最前線には戻れませんし、他にやりたいことも一杯あるんで、アイドルに全力を注ぐ生活には戻れませんが。
幸い、紺野あさ美も帰ってきたし、鈴木愛理も推せる程に成長してきたし、推す対象には事欠かない感じです。須藤さんにはもう興味無いですが・・・それはそれで「まぁいいや!」って思ってます。ってか、そこで罪悪感とか感じたら楽しく無くなっちゃうんで。(だから、AKBは・・・環境的に難しいかな、いろいろと。)
勿論アニメもゲームも読書も音楽も、何でも楽しんでしまいたいですね。世の中には色んな愉しみがあるんだから、たくさん愉しまないと損ですからね!

灯台下暗し

昔はアイドルを応援する、なんて大口叩いていたわけだけど、要は「プロデュースしてるつもり」になりたかった。だからお気に入りの子(これを某業界では「推し」と云う)が出世することこそが、快感であったわけ。
でも結局プロデュースしてるのはつ○く♂なり秋○康なりであって、僕はただ横槍を入れているに過ぎないし、ハロプロなんかはそれすらも「横槍のつもり」に過ぎないわけで、結局自己満足ということになる。まぁ、汚い言い方をすれば、所詮自慰同然、ですよ。
塾の先生をやってて、子供たちのほうから「ありがとう」や「やったよ!」って言葉を聴いていて、自分の欲しかったものって、コレなんかなぁ〜と感じる。打ったら響く。だから一生懸命打つ。毎日充実している。やる気ゼロで志望校も下方修正したような奴が、90点の答案をわざわざ自分の所まで見せに来た時は、感無量だったわけで。
だから、遠くてなかなか手に入らないものを死に物狂いで追いかけるのも悪くないけど、手の届くところに何かを求めてみると、案外楽しい人生が送れるんじゃないかなー、と思えるようになったかな。

夜勤

昨日の夜勤にて、オーナー不機嫌。「ゴンドラ清掃汚ねんだもんなー。」ホコリを払うだけでいい、って言ったのはあんただろうが。その他もろもろ、カチンときつつもさっさと帰宅なされたので良しとする。
一応入念に清掃&もろもろ。これで来週また文句言われたら辞めてやる。